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こころについて

喜んだり、楽しんだり。時には悲しんだり、怒ったり。
私たちの心は、毎日コロコロと変わるもの。

からだは親神さまからの借りものですが、
心は一人ひとりが自由につかえるように
神様から与えていただいているからなのです。

親神さまは、私たちが自由につかえる心を
陽気ぐらしのためにつかってほしいと願っておられます。

こころについて

反対に
親神さまの思いに反する自分中心な心遣いを
「ほこり」に例えて教えてくださっています。

心に「ほこり」が溜まってしまうと
日常に溢れている感謝や喜びに気づけなくなってしまいます。

私たちが幸せになるためには
まずその「ほこり」を掃除することが
大切だと教えられています。

ほこりの心遣い

をしい

人のために心をつかったり体を使うことを惜しむ心。人に物を貸したり、借りたものを返すのを惜しいと思い、イヤなことは人にさせて、自分は少しでも楽しようとする心など、全てに出し惜しみ骨惜しみすること。

ほしい

自分の必要なものは与えられているのに満足しないで、もっとほしいと思う心。人が持っているものを見てはほしいと思い、働かないで見返りを求めたり、自分を省みないで、むやみにほしがること。

にくい

理由もないのに、自分の気に入らないからと言って人を嫌ったり、相手にあやまちがあった、失礼だと言っては人を憎んだり、全てに自分のわがまま・気ままから人を憎む心。

かわい

片寄った愛情を持ったり、自分さえよければ他人はどうでもよいと思う心。分けへだてをして、特別な人だけに親切にしたり、自分や我が子我が家のことばかり考えて、他人のことを思わない利己心。

うらみ

自分がこうしようと考えていることを、邪魔されたと言って人を恨み、不親切だと言って人を恨むなど、自分の努力が足りないことを反省しないで相手を恨むこと。また、他人の幸せや出世をねたむ心。

はらだち

人が自分の気に入らぬことを言ったといって腹を立て、おもしろくないからといって、つまらないことに腹を立てる心。広く大きな心を持たず、辛抱して人を許せることのない気短な心。

よく

人の物を盗んででも、人の目をだましてでも、何でも自分のものにしようとする心。取れるだけ取りたい、あるが上にも、いくらでも取り込もうとする心。男女の情愛に溺れる色欲の心。

こうまん

知らないことも知っているふりをしたり自分は人よりも偉いとうぬぼれたり、自分の意見はどんなことがあっても通すが、人の意見は聞かず、人の欠点をあばこうとしたりする思いあがった心。

うそ

自分の都合の悪くならないように、行いをごまかしたり、その場を逃れるために自分の失敗を人のせいにすること。

ついしょう

心にもないほめ言葉で相手の機嫌を取り自分にとって有利なように物事を運ぼうとすること。

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